2015年11月30日月曜日

「日本が愛した印象派」展英語版カタログが“The Financial Times best books of 2015 (Art)”に選出

[井口俊]

 2015年10月よりボンの国立芸術展示場で開催されている、「日本が愛した印象派」展英語版カタログJapan's Love for Impressionism(Prestel, 2015)が、“The Financial Times best books of 2015”のArt部門の一冊に選出されました。
 
 展覧会の会期は2016年2月21日までとなっておりますので、皆さまぜひ足をお運びください。また、展覧会の詳しい紹介は、三浦先生のブログ記事をご参照ください。

「絵画を楽しむ技術(メチエ)を語る―『名画を見る眼』から『まなざしのレッスン』へ」高階先生、三浦先生トークセッション傍聴記


[農頭美穂] 
 20151019日、東大駒場キャンパスにて、高階秀爾先生と三浦篤先生のトークセッションが東京大学出版会主催で開催された。「絵画を楽しむ技術(メチエ)を語る『名画を見る眼』から『まなざしのレッスン』へ」と題にあるように、この対談は先駆的な概説書の著者であるお二人から絵画鑑賞、そして美術史研究の醍醐味についてお話をいただく好機会となった。会場には専門家から美術史の学生、また一般の読者の方々まで多くの美術ファンが集い、熱気に包まれていた。
 本対談は国内外の美術史学を牽引する両先生の師弟対談という大変貴重な席でもあった。高階先生の『名画を見る眼(正・続)』『近代絵画史(上・下)』から三浦先生の『まなざしのレッスン1 西洋伝統絵画』、そして3月に出版された『まなざしのレッスン2 西洋近代絵画』へと繋がる系譜とその誕生に纏わるお話が語られ、私自身も美術史を学んだ一読者として感慨深く拝聴した。
 『名画を見る眼』に関して高階先生は絵画で語られていることを「読み解く」楽しさを目指されたといい、「細部」を見て「記述」することが新しい発見につながると語られた。また三浦先生も同書に「作品をディスクリプションする」重要さを教わったという。これは私自身三浦ゼミで学んだものであるし、そして駒場の学部生向けの「美術論」の講義、またその教科書『まなざしのレッスン』の根底に流れている精神であると思う。
 作品と向き合う際には徹底的に「細部」に注目して観察し、分析する。三浦先生は「作品を文章化しないと分からないことがあるのではないか」とも語られたが、その行為には非常に得るものが多く、新たな発見や重要なヒントをもたらしてくれ、また作品研究のはじまりとなることもあるように思う。美術史研究には資料渉猟など忍耐が要求されることも多いが、作品の「細部」の謎に惹かれたことが端緒となり、その解明に近づこうとする探究のこころが研究のひとつの原動力となるし、またそれによって同好の士が結び付けられることもあるのではないか。
 高階先生がミステリー小説になぞらえてパノフスキー流の作品解明の魅力について語り、またエーコの「開かれた作品」の概念に基づく作品解釈についてオープンエンディングの演劇に喩えて語られた一幕もあり、改めて彼らの方法論をその啓蒙的なご著書によって日本に紹介された先生の業績を思い感嘆させられた。三浦先生が指摘されたように美術史の方法論において様々な(時に実験的な)試みが成され多様な解釈が実現されていくなか、開かれた立場で作品と如何に向き合っていくのかが我々に問われているのだろう。改めてお二人のご著書を再読し、美術史研究の醍醐味を堪能しながら考え直してみたいと思う。


 対談の後半はスライドで実際に作品が投影されるなかで行われ、両先生の息の合ったセッションによって「細部」を見てまた「比較」する絵画鑑賞のメチエが披露された。主に『まなざしのレッスン』と『名画を見る眼』からの図版を取り上げる形で展開され、ルネサンスから現代に至る幅広い作品に対する両先生の自由でかつ含蓄深いご指摘が聞くことができる、大変貴重で刺激的な時間であった。プッサン《フローラの王国》の細部のモチーフや構図に対するコメントから始まったこのセッションであるが、個人的にはジェリコー《メデュース号の筏》とキーファー《シベリアの王女》が並べられたスライドが印象的であった。『まなざしのレッスン2』でも紹介された作品だが、この二作品に共通する「崇高の美学」を見出し、時間と様式を超えた物語画の変容を示す例として提示してくださる先生の熟練したメチエはまさに脱帽物。両先生にはとても及ばないが、自分も日々その作品比較のリソースを蓄積していくことで作品を見る眼を磨きたいと気持ちを新たにさせられた。

2015年11月16日月曜日

「日仏交流を通した日本の美術史学の構築」


[三浦篤]

 そんなタイトルの論文の執筆依頼を受けたのは1年半前のことである。パリのINHA(国立美術史研究所)の雑誌Perspectiveの編集主幹をしているAnne Lafondからの要請。彼女は2012年にパリで開催されたEcole de printempsで事務局長の大役を務めた優秀な女性研究者で、18世紀美術史を専門としている。何を思いついたのか、最初は日本の美術史学のことを紹介してくれという話だったが、あまりに大きすぎるテーマに躊躇っていると、日仏関係に限定しても良いということで、それならばと引き受けて、Perspective最新号に発表することができた。« La construction de l’histoire de l’art au Japon à travers les échanges franco-japonais », http://perspective.revues.org/5700


 とはいえ、論点をかなり欲張ったので長めの論文になった。明治以来の日本における美術史学の成立過程と現状(西洋美術研究と日本・東洋美術研究が並立する歴史)、日本におけるフランス派美術史研究者の業績やフランス美術に関する展覧会の紹介、さらにはジャポニスム研究と日本近代美術研究に焦点を当てた日仏美術交流史研究の現在などだが、特に最初のふたつは欧米ではあまり紹介されていないので意味があるかと思う。


 
 海外で講演したり、シンポジウムに参加したりするたびに思うことだが、日本にはこれだけ質の高い研究蓄積があるのに(美術史のみならず人文科学全体について言えることだ)、日本語で書かれているというだけの理由で、グローバルな世界で知られていないのは本当に残念なことだ。もちろん、外国語による発信が容易でないのは当然だが、ケースに応じて様々な手立てを講じる(自分で発表する、通訳者、翻訳者を用いる)とともに、機会があれば日本語でも発表したいとも思う。外国語で発信するのと同時に、日本語の国際的存在感を高める努力があってもよいはずだ。また、外国語を使う場合でも、相手の母国語ではなく、双方にとっての外国語である第3の言語で話せば、ある程度対等になることもある(現在ドイツで開催中の展覧会「日本人の愛した印象派」で英語を使ったのはその例であった)。つらつらと、そんなことを考えるこの頃である。