2014年7月12日土曜日

第12回エコール・ド・プランタン(於東京)における「枠組み」再考の試み

[松井裕美]

 三浦篤先生の総指揮のもと開催された第12回エコール・ド・プランタンに、この度コメンテーターとして参加させていただく機会を得た。本大会では、「枠組み」というテーマをもとに、様々な研究発表がおこなわれた。この課題が目指すものは、慣習的な既存の定義を共有することではない。反対に、それぞれの発表者の考察は、時代、作品、状況によって異なる「枠(どり)」を論じるなかで、視覚芸術の解釈の多様な可能性と、その方法論の豊かさを示してくれたように思う。ここでは、私がコメンテーターを担当した大会2日目(610日)の様子を、発表の内容に触れながら報告したい。
 東京国立博物館の平成館講堂でおこなわれた大会2日目は、佐藤康宏先生の 基調講演により幕を開けた。“Absence of Boundaries, Presence of Frames: Two or Three things I Know About Japanese Art”と題されたこの発表は、不動の囲いによって対象を規定するような意味での「枠組み」という概念から一端離れ、「枠どる」という行為そのものに注目することで、「枠」あるいは「枠組み」の様々な様態に関する考察を促すものであった。そこでは、「枠どる」という行為によって、既存の空間や概念の枠組みに亀裂を生じさせつつ、新たな視野の枠、空間や時間の表象を生み出すものであることが、古代から現代の漫画にまで至る日本美術の流れのなかで示された。


 このような「枠組み」、あるいは「枠どり」の創造的な機能は、続く午前の「装飾」をテーマとしたセッション、午後の「時間と空間の表現」をテーマにしたセッションにおいて、個別の事例に則して確認されることとなる。Veronica DELLAGOSTINO氏が中世イタリアのフレスコ画に関する研究で示したように、作品における付随的なものとしてみなされる傾向にある装飾的な要素は、作品を資料として研究する際の決定的な要素となりえる。田中健一氏が法隆寺橘夫人厨子に関する発表のなかで、あるいは井戸美里氏が金屏風に関する発表のなかで示したように、空間を装飾し切り取ることで非日常の空間を生み出すような「枠」は、聖性や象徴性を付与する機能を持つ。また永井久美子氏が源氏物語絵巻のすだれや屏風の表現に則して描き出したように、描かれた「枠」は、その内と外との関係のなかで、表象された人物の心理を暗示することを可能とする。Bénédicte TRÉMOLIÈRES氏によるモネの大聖堂に関する発表や、Merlin SELLER氏によるウォルター・シッカートの作品に関する考察では、時間概念の表現に寄与するような、刹那的な時間の「枠どり」について論じられた。
 最後に大会の全体の様子について触れたい。私は今までに、2011年第9回フランクフルト大会の聴講生として、また2012年第10回パリ大会の発表者として参加させていただいているが、毎回学生のあいだでは、大会の特徴である多言語主義や、研究の方法論をめぐる議論が、休み時間中、あるいは食卓を囲んで、活発におこなわれる。母国語で伝えることの重要性、外国語を話さなければならない言語的マイノリティーの存在、専門性と学際性の両立の困難さ。エコール・ド・プランタンは、まさにconvivial(ともに食卓を囲むような、共生的な)というフランス語の形容 詞に最もよくあてはまる、親密な場をつくりだす機会であるが、そのような相互共生的な親睦の場でこそ、言語的にも方法論的にも多様な枠組みの対話が可能になることを、この度はより強く実感させられた。このような国際的な大会に参加する機会を与えて下さった三浦篤先生をはじめとし、大会の運営の実現に携わられた多くの諸先生方、先輩方、三浦先生ゼミの皆様に、この場を借りて深謝申し上げます。