2014年7月12日土曜日

エコール・ド・プランタン東京大会参加記録   19世紀フランスにおける日本美術をめぐる言説の「枠組み」

[齋藤達也]

 エコール・ド・プランタンでは最終日となる5日目の午後に発表させていただいた。会場は東大駒場キャンパスの学際交流ホールである。Le japonisme d'Ernest Chesneau : la quête du caractère national(エルネスト・シェノーのジャポニスム——国民性を探し求めて)と題したフランス語の発表では、19世紀フランスの美術批評家エルネスト・シェノーによる日本美術論を検討した。シェノーによる日本美術論はその先駆性、同時代の状況を証言する資料としての価値、そして日本美術の本質的特徴を捉えた議論の深みなどが認められて、ジャポニスム研究において幾度となく参照されてきた。だがその一方で、シェノーによる著述活動のうち日本美術に関わるテクストのみが注目されることが多かった。本職が美術批評家であったシェノーによる著作や批評記事の全体を顧みるとわかるのは、古典主義(とくにイタリア美術を規範とする「イタリアニスム」)によってフランス美術は衰退の一途をたどり、さらには19世紀に入りヨーロッパ各国がフランス美術を熱心に学んだ結果、それぞれの国の芸術における国民性が喪失しているとする強い懸念があったことである。それゆえに極東で独自の芸術を開花させた日本の芸術、言い換えれば「国民性」がはっきり刻印された日本美術にシェノーは着目したのだ。各国の芸術家が自身の地域に根ざした芸術を作り上げるべきと説くシェノーは、これを「芸術におけるナショナリズム」と名付ける。
 この立場は、フランスの工芸家に向けてシェノーが行った講演にも反映されている。シェノーは日本の装飾芸術の安易な模倣(モチーフの借用など)を戒める一方で、その本質的な装飾原理を学ぶことをすすめる。そのために「非対称性」「感覚の遠近法」「触覚の美学」といった独自の言葉で日本美術の装飾原理を概念化した。模倣を回避しつつも原理を応用するという、自己矛盾をきたすことになりかねない目論みを達成するための手段として、シェノーは日本の装飾原理を抽出したのだ。フランスの装飾芸術においてフランスらしさ(国民性)を失うことなく、日本美術の原理の応用によって作品の改良につとめる態度には、彼のいう「ナショナリズム」が反映されていた。シェノーの日本美術論は、日本とヨーロッパ諸国、美術と工芸といった複数の国や領域をまたがる「枠組み」の中で構想されたのだ。


 発表で試みたことの一つは、日本美術の受容研究を純粋なジャポニスム研究の枠内に留めるのではなく、美術批評研究の領域へ押し広げて、広く同時代美術の中における日本美術の位置を一人の批評家を軸にして探ることにあった。発表の意図が聴衆に十分に伝わったかはわからないが、発表後には関心を持ってくれた方々から様々な反応を得ることができた。近代の美術史学におけるナショナリズムを専門とするミケラ・パッシーニ氏にはとくに、研究上の様々な助言をいただき大変ありがたかった。参加者の中にはフランス美術史編纂と美術批評家の問題に関心を寄せる学生もいて、今後も継続的に話をすることになり、有意義な出会いとなった。実際のところシェノーも含めて19世紀フランスの美術批評家の言説には、フランス美術の優位性を説く、一般的な意味でのナショナリズムが見出せる。美術批評におけるナショナリズムの言説研究は立ち遅れているものの近年関心が集まりつつある重要な領域なので、今回知り合った方々とも連携をとりつつ研究課題として取り組んでゆきたい。
 エコール・ド・プランタンの5日間は、かつてないほど濃密な時間を過ごしたように思う。思い返せば私が修士課程の学生であった頃から、たびたび外国からの研究者が講演やシンポジウム、あるいは集中講義のために駒場を訪れていた。そうした国際化の集大成として今回の催しを位置づけることもできるのではないだろうか。世界各国の研究者や同世代の学生が日本に集って5日間に渡って時間をともにする、いわば奇跡的な催しに発表者として参加できたのは、この上ない幸運であった。こうした国際交流の貴重な「枠組み」が永続することを切に願う。最後に、5年前から東京大会を準備してくださった三浦先生をはじめ、ご支援いただいた財団の方々、準備に携わった先生方、学生、そして遠方から東京までお越し下さった全ての参加者にこの場を借りてお礼申し上げたい。

エコール・ド・プランタンに参加して

[申旼正] 

 今回のエコール・ド・プランタン(第12回、2014年6月9日—13日、東京)では、「美術史における枠組み」というテーマに基づき、様々な議論が行われた。国境と時代、ジャンルを超えた多様な発表やそれに対する質疑を聞くこと、またそれぞれの発表が持つ意義を「枠組み」という大きなテーマの中で考えることは興味深い経験であった。各国の研究者たちとアイデアや情報を交換し親交を結ぶことによって、視野を広げることもできた。
 この度は私も3日目に発表の機会をいただき、「韓国美術と李應魯–西洋美術と東洋美術の融合」というタイトルで、韓国系フランス人画家の李應魯(イ・ウンノ、19041989)に関する発表を行った。李應魯は、時代的には近現代を、地域的には韓国と日本、そしてヨーロッパを生きた人物である。またその表現は、韓国の伝統絵画からはじまり、日本画、洋画の写実主義や西欧の抽象表現主義にいたるまで多岐にわたっている。戦前は日本植民地支配の下で、戦後はフランスに渡り、混沌と無秩序の西洋史の中で作品を通して社会に向き合おうとした画家なのだ。今回の発表では、画家李應魯の歴史認識を彼の西欧経験や作品と関連づけて多角的に論じたかった。しかし、発表を準備する過程は決して順調なものではなかった。20139月にパリ留学を開始してからわずか半年で、適切な資料を発見するには情報が足りなく、他の文献を参考にするにはフランス語能力が足りず、心の底から満足できる発表ではなかった。しかし、質問やコメントをもらうことによって研究における新しい課題が浮き彫りとなり、研究生活を続けていく上での貴重な経験となった。


 学会に参加する際にはいつも感じるが、会場で他の研究者の発表を聞き、その成果を確認することは、研究生活に活力と刺激を与えてくれる。特に今回のエコール・ド・プランタンでは高階先生をはじめ素晴らしい先生方の講演を聞くことができ、記憶に残る一週間となった。幅広い知識に基づき、多様な資料を提示しながら、対象を自由自在に取り扱う手際に感銘を受けた。自分の関心事と聴者の興味のあいだでバランスをとり、研究の重要性を理解し易く伝える、その発表のテクニックについても考えさせられた。
 日本を訪れた同年輩の研究者たちと親しくなり、一緒に東京を楽しめたことも忘れられない思い出である。一緒に原宿の街を歩き、六本木のウサギカフェを訪れ、いろいろなことについて自由に話す中で友情を深めることができた。研究上の同僚であり、友達として大事にしたい関係である。
 もはや研究者の国際化は普通のこととなっている。今日、われわれは異文化を外国語で研究し、それを海外で発表することに何の違和感も感じない。このような状況に合わせて、研究者は国際的な感覚を身につける必要があるだろう。外国語の学習や、異なる文化や価値観を偏見なく受け入れられる態度が要求される。それと同時に、自らの文化を大事にし、それを海外に発信する方法も考えなければならない。
 個人的には今回のエコール・ド・プランタンを、挑戦と刺激、新たな出会いの場として記憶したい。この気持ちを忘れず、雨垂れ石を穿つように、こつこつと努力を重ねていきたい。

エコール・ド・プランタンに参加して―大会3日目、4日目報告

[井口俊]

 私自身エコール・ド・プランタンへの参加は、2012年のパリ大会に続き二回目の経験であった。前回はフランス留学開始後、半年ほどしか経っていない時期のことで、正直に言うと眼前で交わされているやり取りの半分も理解できておらず、物言わぬ一聴衆として参加するに留まっていた。一方、今大会には発表者、そして当日の運営を担当した大学院生チームの責任者として、昨年の準備段階から積極的に携わらせていただいた。
 発表者としては、大会3日目の午前中に「価値とヒエラルキー(Valorisation et hiérarchies)」というテーマのセッションで、「マイナージャンルの力—カリカチュアに見る1868年のサロン La Puissance d'un genre mineur : le Salon de 1868 vu par les caricatures」と題した発表を行った。19世紀パリのサロン会場を彩った作品、またそこに詰めかけた観衆を諷刺的に描いたサロン戯画を主な資料として、ジャン=レオン・ジェロームの1868年のサロン出品作を中心に論じ、美術批評研究、作品の受容研究の新たな可能性を提示しようと試みた。イメージによる批評とも呼べるサロン戯画は長らく、テクストによる批評に比べ不真面目で劣ったものと見なされ、本格的な研究対象として扱われることは少なかった。しかし、戯画画家たちはそうしたジャンルの特質を逆手に取るかのように、19世紀フランスにおける芸術のアカデミックなヒエラルキーから自由に批評活動を行っていた。称賛するでも批判するでもなく、作品を笑い読者を喜ばせるためには、作品の本質を鋭く捉え、その箇所を誰にでも分かりやすい形で抉り出す必要がある。サロン戯画を入念に読み解くことで、テクストによる批評の読解だけでは気づくことの難しい、同時代受容の有り様を明らかにすることができるのである。筆者は日本での修士論文執筆以来ずっとサロン戯画を専門的に調査研究し、マイナージャンルの持つこうした〈力〉に着目してきたので、今回の発表テーマはまさに自分の興味と合致するものであった。
 外国語による発表で、その大半が自らの専門に近いわけではない参加者の注意をどれだけ惹くことができるのかが本発表の最も大きな課題であったが、サロン戯画のイメージの魅力を助けに、今後の研究の参考となる様々な質問や指摘をいただくことができたことは大きな励みとなった。


 話題変わって大会4日目は、希望者を募り都内の美術館見学を行った。いくつかのグループに分かれ、東京国立近代美術館、ブリヂストン美術館、三井記念美術館、三の丸尚蔵館をまわり、常設展・企画展を鑑賞した。大会も始まって4日目ともなると、実際の作品を目の前にしての意見交換はもちろん、昼食時や移動時に交わす何気ない会話のやり取りも調子が出てきて、外国からの参加者と打ち解けた雰囲気の中、同じ時間を共有することができたことは忘れがたい。見学会のグループの中には非常に日本通の先生がおり、銀座の鳩居堂に行き和紙を買いたいと提案されたのには驚いたが、外国の研究者が日本のどういった文物に興味をもっているのか知ることができたことも良い経験となった。
 一週間にも及ぶ国際セミナーの開催には、多くの人手と準備期間を必要とし、縁あって大学院生チームの責任者を務めさせていただいたが、大過なく大会が運営できるのか緊張の日々だった。しかし、三浦先生以下、普段は海外に留学している博士課程の学生も皆が集まり、一つの目標に向け協力していく過程は楽しくもあり、無事に全てのプログラムを終えた時には清々しい充実感があった。今回は裏方に徹して下さった修士課程の皆さんにも心より感謝したい。最後になりましたが、本大会に賛同、協力して下さった全ての方々にこの場を借りてお礼申し上げます。

第12回エコール・ド・プランタン(於東京)における「枠組み」再考の試み

[松井裕美]

 三浦篤先生の総指揮のもと開催された第12回エコール・ド・プランタンに、この度コメンテーターとして参加させていただく機会を得た。本大会では、「枠組み」というテーマをもとに、様々な研究発表がおこなわれた。この課題が目指すものは、慣習的な既存の定義を共有することではない。反対に、それぞれの発表者の考察は、時代、作品、状況によって異なる「枠(どり)」を論じるなかで、視覚芸術の解釈の多様な可能性と、その方法論の豊かさを示してくれたように思う。ここでは、私がコメンテーターを担当した大会2日目(610日)の様子を、発表の内容に触れながら報告したい。
 東京国立博物館の平成館講堂でおこなわれた大会2日目は、佐藤康宏先生の 基調講演により幕を開けた。“Absence of Boundaries, Presence of Frames: Two or Three things I Know About Japanese Art”と題されたこの発表は、不動の囲いによって対象を規定するような意味での「枠組み」という概念から一端離れ、「枠どる」という行為そのものに注目することで、「枠」あるいは「枠組み」の様々な様態に関する考察を促すものであった。そこでは、「枠どる」という行為によって、既存の空間や概念の枠組みに亀裂を生じさせつつ、新たな視野の枠、空間や時間の表象を生み出すものであることが、古代から現代の漫画にまで至る日本美術の流れのなかで示された。


 このような「枠組み」、あるいは「枠どり」の創造的な機能は、続く午前の「装飾」をテーマとしたセッション、午後の「時間と空間の表現」をテーマにしたセッションにおいて、個別の事例に則して確認されることとなる。Veronica DELLAGOSTINO氏が中世イタリアのフレスコ画に関する研究で示したように、作品における付随的なものとしてみなされる傾向にある装飾的な要素は、作品を資料として研究する際の決定的な要素となりえる。田中健一氏が法隆寺橘夫人厨子に関する発表のなかで、あるいは井戸美里氏が金屏風に関する発表のなかで示したように、空間を装飾し切り取ることで非日常の空間を生み出すような「枠」は、聖性や象徴性を付与する機能を持つ。また永井久美子氏が源氏物語絵巻のすだれや屏風の表現に則して描き出したように、描かれた「枠」は、その内と外との関係のなかで、表象された人物の心理を暗示することを可能とする。Bénédicte TRÉMOLIÈRES氏によるモネの大聖堂に関する発表や、Merlin SELLER氏によるウォルター・シッカートの作品に関する考察では、時間概念の表現に寄与するような、刹那的な時間の「枠どり」について論じられた。
 最後に大会の全体の様子について触れたい。私は今までに、2011年第9回フランクフルト大会の聴講生として、また2012年第10回パリ大会の発表者として参加させていただいているが、毎回学生のあいだでは、大会の特徴である多言語主義や、研究の方法論をめぐる議論が、休み時間中、あるいは食卓を囲んで、活発におこなわれる。母国語で伝えることの重要性、外国語を話さなければならない言語的マイノリティーの存在、専門性と学際性の両立の困難さ。エコール・ド・プランタンは、まさにconvivial(ともに食卓を囲むような、共生的な)というフランス語の形容 詞に最もよくあてはまる、親密な場をつくりだす機会であるが、そのような相互共生的な親睦の場でこそ、言語的にも方法論的にも多様な枠組みの対話が可能になることを、この度はより強く実感させられた。このような国際的な大会に参加する機会を与えて下さった三浦篤先生をはじめとし、大会の運営の実現に携わられた多くの諸先生方、先輩方、三浦先生ゼミの皆様に、この場を借りて深謝申し上げます。